はじまりへの終焉  夢 鏡 後日談 波の随に side



 薄暗い一室だ。それでも…完全な闇ではない、何もいない虚空でもないとの主張を思わすように。よくよく目を凝らせば、闇夜をよぎる獣の目のような小さなランプが、幾つか灯っているのが拾えもする。耳鳴りのように間断無く響く唸りは、空調のためのモーターの稼働音。人の出入りは極力少なく限られている冷たくも無機的な空間で、それでも環境保全が必要なのは、ここに保管されてあるものが非常にデリケートなものばかりだから。

 「なんでまた、こないな物騒なもん わざわざ作るかな。」
 「研究用、いうことになっとるらしで。」

 液体窒素の泡立つ中へと合金のカプセルが収められたポッドもあれば、厳重なこと思わせる頑丈そうなボルトで封された、鋼鉄製だろうユニットも居並ぶ室内であり、
「ガンの研究かて、臨床用にわざとガン細胞を植え付けたマウス使こて、新薬やら治療法やらがどんな効き目あるんかのデータ取らなあかんやろ?」
 それと同じ理屈だろうさと、応じたお声もどちらかといや若々しかったのへ、

 「せやし、危ないいうて研究してはるんやったら、
  管理の方かて厳重やないとあかんのん、重々判ってはる筈と違うん?」

 最初の声の主が、どこか間延びした言いようを差し挟み、

 「せやなぁ。しっかりしてもらわな、あかんわなぁ。」

 やはり…同じようなトーンでのお返事を返した相方らしき男の声が、その途中から微妙に堅さ重さを増したよな。というのも、

 「炭素菌ゆうたら、猛毒素持っとぉ超危険なウィルスやろに。
  何でそんな恐ろしもんが詰まっとぉポッド、年に3回も盗まれるかなぁ。」

 「……っ。」

 明らかに“聴衆”を意識した言い回しをした彼であり。それへとたじろいだ気配がありありと立ったのへ、端正な口許を にぃと引き上げて見せると、

 「テロ組織とお友達やねんてなぁ。おっと、知らんいうても聞かれへん。
  ええ加減にしとかんと、保険会社も しまいには相手してくれへんようになんで?」

 そうと紡いだ彼の後背、もう一方の男がぶんと片腕振り抜けば。腕の袖口から特殊警棒がすべり出て。そのままにんまりと微笑って見せたのが、唐突に灯された明かりの目映さにも負けぬ、そりゃあ華やかな美貌の持ち主だったものだから。

 「…くっ。」

 ほんの一瞬ながら、何かドラマの撮影だろか、そういう夢ならいいのにとでもいうような、この期に及んでさえ調子のいい、気の迷いだか躊躇だかが向こうの思考へ挟まったようで。そんな出遅れへと詰め寄るように、前方へ立ちはだかっていた黒髪の男が床を蹴って飛び出して来。整然と静まり返っていた研修所内が、あっと言う間に凄惨な戦場と化したのであった。






       ◇◇◇



 煤けて雑然としている貧困地域(スラム)をまたぎ、空港のある開発地区へと伸びる、そこだけが妙に新品の真っ直ぐなハイウェイ。併走する車もまばらな中、風を切って疾走するシルバーのスポーツカーは、開発とやらから置き去られた底辺の人々からは、まるで未来都市の乗り物のように見えているのかも。市場開放を導入した結果、経済面での急速な発展が進みはしているが、頭の切れる層がどんどん私腹を肥やして肥え太る一方で、最初の元手やコネのない市民層は、一昔前の生活とさして変わらぬ今日を過ごす国。あまりの不均衡はいつか破綻を招くこと、どうして気づかない富裕層やインテリ連中であるのだろ。自分たちもまた、それにより招かれた破綻、経済的クーデターとやらを起こした側だろに。

 “……まあ、それはここの国の人らが何とかする問題やとして。”

 後部座席の片側、シートのクッションへと身を押し込むように沈めつつ、う〜んと大きな伸びをして、
「何でまた、こんな荒ごとをいきなり世話されるかな。」
 不平たらたらという低い口調でぼそりと呟いたのが、丹羽良親という日本人。これでも とある巨大な組織における重鎮であり、若くして須磨の惣領に就任し、ほどなく西の総代へも推されたという、破格の肩書を持っておいで。どこぞかの企業でよくある“派閥闘争”とは次元が違う、技量という素養の中に社会情勢への把握力や知識とそれから、こちらは素手空手で武装した10人ほどを薙ぎ倒せる格闘技や体力を要され。器量という素養には金脈人脈よりもカリスマ性を求められるという、異様なくらいに前時代的な組織での最高幹部を、数年前からこなしておいでの彼であり。冒頭のすったもんだも、この車内に同座する顔触れのみで片付けたというから、半端な軍隊も顔負けだろうて。余裕で片付けたればこそのわざとらしい愚痴を、
「お前を野放しにしといたら、好き勝手し過ぎるからや。」
 すぐ隣りのシートに座を占めていた相棒が、けんもほろろという口調のボレーで返す。同世代だろう、こちらも日本人男性で。ダークスーツを隙なく着こなす、冴えた印象のするところが、どこか華やかな印象のある良親とは真逆な彼は 佐伯征樹といって。こちらは京都は山科の支家の総代を任されている、やはり若手でありながら破格の実力買われた逸材であり。

 「惣右衛門の爺様かて、そうそう仏心ばっかし見してもおられへんのやろ。」
 「せやけど俺、病み上がりやで?」
 「如月までまんまと撒いて、
  東京まで単身伸しとったもんが何言うても聞かれへんな。」
 「はは。」

 伊達に情報組織の幹部じゃあない。身内の動向もまた、どれほどの策を巡らせようが拾えなくてどうするかと、呆れ半分、冷めた眸を西の総代へと向けていた征樹であったが、かすかな沈黙という間をおいてから、今度は幼なじみへの忠告をぽそりと告げた。

 「素人や、判っとぉな?」
 「……何の話や?」
 「お前が妙に入れ揚げとぉ別嬪さんの話や。」

 ああと、今初めて合点がいったような顔をする良親だが、いつかは言われるだろうという予測はあったろに。

 「あんだけの働きするネエさんが“素人”もないやろ。」
 「俺らから見たら素人や言うてんねん。」

 判っていながらの誤魔化し半分、話を脱線させて振り回す気なら付き合わぬということか。日頃なら何合かの押したり引いたりという問答を挟むはずが、直截に話を続ける征樹の口調が微妙に鋭いそれになり、

 「建前的に言うんやったら、
  もう関係も無(の)うなった相手にいつまでもちょっかい出しな。
  監視やったら東の支家に割り当てられとぉのや、そっちへ任し。」

 滔々と並べてから、

 「あと個人的に言わせてもろたら、
  これまでの遊びの相手と全然タイプ違うやないか。
  もしやして本気や言うんやったら…。」
 「アホかい。」

 本気なのならと続けかかった征樹の言を、先が判っておればこそ途中で遮るように鼻先で笑い。それこそ何言うてんねんと軽く言い切った良親で。

 「まま、個人的な遊びとも ちとちゃうかったかな。
  手ごわいネエさんやったから、もちっと一緒したかっただけや。
  俺かてな、
  手ぇさえ握らへんままの、真剣真面目な丁々発止ゆうのん、
  堪能したなる時もあるんや。」

 「…大層に言うとぉ割に、
  それも女がらみの艶ごとにしか聞こえへんねやけど。」

 ホンマいつか女が原因で大ヤケドすんでと、呆れたように言い置く征樹へ、それこそ本望やと笑い飛ばしてその話も終しまい。運転席に座すのは、彼らがこの地方に来たおりの秘書や案内を務める現地の“草”の一人であり。国内の“草”の方々以上に厳しい精査と鍛練を受けた強わもの故に、余計な口を挟まぬは…礼儀もあったがそれよりも、一族の事情にも一通り通じていもするからで。こんな意外な国に設置されていた、危険な物資の貯蔵庫をかねた、重化学物質の研究所。近年、小遣い銭稼ぎでは収まらない規模の危険な取引が秘密裏に取り交わされているとの噂を聞きつけ。本来の管理団体やら某国家やらには断りなしに、とっとと処分させていただいた次第。そういうことを大上段から大執行出来る組織、証しの一族の幹部にとってみれば楽勝な案件。どれほど容器や装置の耐久性に自信があったか知らないが、ほんのミリグラム単位で数万人が瞬死するよな劇毒物資が山積みされてた中で、鋼板貫くSG弾を充填した機関銃が出て来たほどの杜撰な感覚だった連中相手に。こちらは打撃攻撃のみという、ほぼ素手空手で対処した二人。少々間をおいた秋口に ちょっとしたダメージ負った良親には、リハビリも兼ねた任務だったが、この程度では補佐も要らなんだと、下調べの段階から嘯(うそぶ)いていたほどで。確かにまあまあ、余裕の片手間で処断出来たようではあったが。

 “…の割に、柄にない塞ぎようをしとォから。”

 彼の気まぐれには重々慣れているはずの、征樹の弟、傍づきの如月少年でさえ“お手上げだ”と手を焼いていた代物であるらしく。だがだが、彼自身が言うように、

 “銀龍とかいう女医さんへ、色の線で執着しとるワケでもないみたいやしなぁ。”

 冗談ぐちに持ち込んでは巧みに誤魔化しはぐらかす、そんな術が殊の外に得意な良親だと判っているし、見抜く感覚も随一との自負ある征樹であればこそ。薄っぺらな感情や関心で固執している彼では無さそうなと、そこまでは察してもいるのだが。だったら何だというその向こうに、まるきり心当たりがないものだから、推量の立てようがなくての立ち往生をしている次第。その女性との縁が生じた発端となった案件は、そりゃあささやかな騒動で、向こうの頭目が選りにもよって…こちらの宗主の伴侶に当たろう七郎次という青年へと関心を寄せたことが話をややこしくさせたというだけの代物。人品見下すつもりはないけれど、関わり持ったどの人も こちらからすりゃ一般人の枠内の存在だってのに。どうしてまた、この…あの勘兵衛とも肩を並べようほど周到老獪な人性までかね揃えた須磨の総代が。少しばかり身ごなしが機敏というだけの女性へ、今時には恐ろしいほど豪胆ではあれ素顔はあくまでも一介の女医へ、こうまで関心寄せているものなのか。

 “雑念やったら とっとと払いや。”

 不注意から出先で怪我すんのは勝手やが、巻き添え食うよな運びになったら、島田の一族の冷徹さは半端やないと。それがために泣く子がおるんを忘れなやと。憂慮しつつも今はまだ、胸の裡(うち)のみにて留めおく征樹であり。片や、


  “今世では俺だけ随分と先ィ生まれてもたからな。
   向こうが気ぃつかへんのも無理ないて。”


 てっきり、自分だけが厄介な記憶を抱えて転生した身だと思ってた。ひょんなことから、同じ身の上の御仁らがそっくりそのまま集っておいでなところへ接したその驚きたるや。誤魔化しが利かず、付き合いの長い征樹に何かしら嗅ぎつけられても、そこは詮無いというほどのものであり。

 “六葩さん…あっちの勘兵衛様の葛藤も判らへんではないけれど。”

 あの勘兵衛が女性相手に手を挙げるとはよくせきのことと、知らないままになってた顛末があったこと、当事者の片割れから聞かされて、こちらの胸まで痛んだ事態ではあったものの、

 “そっちかて決して見つかれへん縁やない。”

 情報の世界に棲まう身ならでは、何とはなしに感じ取ってた向こう様の縁
(えにし)とやらへ。早よう気づけばいいのにと、あれからずっと祈るような心地で思ってもいる。そんな彼が何とはなしに見やってた、車窓というフレームへ飛び込んで来たのが、この国のトップ女優を使ったらしき商用看板で。似てもないのにふと思い出したのが、問題の女傑の理知的な美貌。容姿も名前までも同じとは恐れ入ったと、他でもないこの自分へ それらによって隙を作らせた彼女だったのへ、今また苦笑する良親だったりし。

 “ホンマ、無茶したらあかんで、淡月のネエさん。”

 前世でもあまり明かしはしなかった彼女の本名、何とも儚い響きをその胸中で転がして。こそりと溜息飲み込んだ、前世ではどうあれ、今世では倭の鬼神の眷属、須磨の総代殿だったりするのである。






   〜Fine〜  09.12.08.


  *征樹さんの苗字をと訊かれて、あ決めてなかったと大慌て。
   須磨の良親さんが“丹羽”なので、
   京都は山科の 彼と如月くんは…いっそ西大院とか妙法寺とか、
   途轍もなく仰々しいのにしたろうかとも思ったのですが。(あはは)
   諜報活動してるのにそんな印象深い名前つけてどうすると思い直し、
   佐伯さんに決定しました。
   特に意味はないです。全国の佐伯さんすいません。

  *宮原様の“ご本家”でいよいよお話が進みそうな
   『あなたを探して〜』なようですが。
   何かあったら またお声かけて下さいましねということで、
   判る人には判る“置き土産”を一つほど。
   だ・か・ら、
   銀龍さんへちょっかいかけてた良親さんだったということで、
   どぞよろしくですvv


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